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ひと口コラム『鍛冶技術の都・堺』

堺の地元で親しまれている『新堺音頭』にはこんなフレーズがあります。


「もののはじまりゃ なんでも堺 三味も小唄もみな堺」


決しておおげさな言い方ではなく、昔から堺には、珍品、情報、技術に名産品など、
ありとあらゆる新しいものが集まっていました。
当時の文化の中心は堺にあったと言っても過言ではないでしょう。


伝統の鍛冶技術"堺打刃物"のカギは
伝仁天皇陵にあり

堺に入ってきたものの多くは、発祥の地で発展していきましたが、
堺で大切に受けつがれてきた伝統技術もあります。
そのうちのひとつが鍛冶の技術です。堺で打たれた刃物は
"堺打刃物"と呼ばれ、業物として現代でも重用されています。


なぜ、堺で鍛冶技術が発達したのでしょうか。
それは大山古墳(伝仁徳天皇陵)をはじめとする、
堺にある無数の古墳群がきっかけとなっています。


これらの古墳が誕生した5世紀前後、古墳づくりのために大量の人員のほか、
彼らが使う鋤(すき)や鍬(くわ)が必要でした。
そこで大和朝廷は、道具類をつくる鍛冶屋を全国各地から堺へと呼び集めたのです。


当然、昔のことですから、大がかりな古墳をいくつもつくるのに、1年や2年では終わりません。
鍛冶屋も子孫を育て、世代をまたぎ、工事が終わったあと故郷に帰らなかった鍛冶屋たちが、
包丁専門、農機具専門、鋳物専門にわかれて、仕事を始めたのが、
堺打ち刃物の始まりだったと言われています。


また、戦国時代においても、堺は鉄砲の名産地として知られていました。
この鉄砲をつくる高度な技術も、代々受け継がれてきた鍛冶職人たちの
腕によるところが大きかったそうです。


現在に息づく職人たちの魂は
世界トップレベルの技術水準

堺鍛冶の技術の凄さは、伝統を大切に守りながらも、
新しいものをたくみに取り入れる柔軟さにあります。
鍛冶屋たちを起源とした堺の職人魂は、現在ではあらゆる分野に浸透し、
驚くべき技術水準を保ち続けています。


例えば、座椅子の背もたれの調整部分を支える金具の製造元は、
堺の中小企業が開発したものです。


現在でも世界30カ国以上から発注を受ける、独自に磨き上げた製造技術を持ちます。
また、携帯電話やiPodなどのリチウムイオン電池『ガスケット』を手がけるのも堺の企業です。
消費者の目に触れることはなくても、電池の液漏れなどを防ぐ役割を担う重要な部品です。


また、自転車のペダルを漕ぐだけでタイヤに空気を送れる『エアハブ』の発明は、
第1回「ものづくり日本大賞」特別賞を受賞しています。
そのほかにも数え上げればきりがありません。


伝統の技術と言うと古臭いイメージが浮かびがちですが、
堺の伝統は最新の技術にも通用する奥深いものです。


その使い方、応用の仕方は、まだまだ枯渇することはありません。
ビジネスチャンスが数多く眠る街、堺。なにげない寄り道先から、
意外なアイデアが生まれるかもしれません。


『堺っ子体操』

ネイティブの堺市民なら誰でも知ってるローカルワードに
『堺っ子体操』というものがあります。


もしアナタが現役堺市民、あるいは「子供の頃、堺に住んでいた」という人に出会ったら
「堺市と言えば堺っ子体操ですよね?」と聞いてみてください。


たぶん
「え、堺市民でもないのにどうして知ってるの!?」と驚かれるか

「堺市民じゃないのに、よく知ってますね!」と喜ばれるかのどちらかです。


初対面の堺市民サンと仲良くするのに
効果バツグンの単語ですからゼヒ覚えて帰ってください!


堺市民以外は誰も知らない
謎の体操!?堺っ子体操


さてその『堺っ子体操』の中身ですが、
堺市の小学校のみで行われているラジオ体操のようなものです。


市町村ではその土地特有の体操があるのですが、堺っ子体操もその1つ。
ラジオ体操と同じように体育授業や運動会の準備体操として行われています。


しかし「堅苦しくキビキビ動かなければならない」というラジオ体操と違い、
堺っ子体操は明るくてポップな内容。


「♪輝く朝日に目を覚まし(中略)堺っ子は元気な子」という歌い出しから始まり最後は
「今日から明日にホップ・ステップ・ジャンプ」というフレーズに乗りながらジャンプ。


特徴的な歌詞と振り付けが印象深く、
大人になって堺っ子体操を卒業してからも同郷の者が集まると
「あれ面白かったよね(笑)」
と話題になるほどです。

ですが堺市以外では行われず、話題になることもないので、
地元民以外は知名度ゼロ。近接する大阪市民や和泉市民でさえ、
知っている人は少ないです。


でも堺市のほとんどの小学校で取り入れられているため、
堺市民以外は知らないが、堺市民だけは誰でも知っている
世代を問わない共通文化となるワケです。


今あるのはジャズダンスの要素を取り入れた
よりポップな『新・堺っ子体操』


さて世代を問わないと言いましたが、
平成以降と平成以前では体操の内容が違います。


もともと堺っ子体操は「堺っ子の唄」という歌に
昭和56年に振り付けを付けて出来たもの。
小学校低学年向けに作られた振り付けがシンプルな体操だったという。


それに20年ほど前に発足した『新堺っ子体操作成委員会』が
「小学校高学年も一緒にできる体操を作ろう」と出来たものが
今の堺っ子体操。つまりいま行われている堺っ子体操は、
正確には『新・堺っ子体操』です。


"新"と"元祖"がありますが、どちらも堺市民に愛されている堺っ子体操には違いありません。
「堺っ子体操」は今でも、熟年世代から小学生まで誰でも仲良くなれる魔法の単語です。

食い倒れの町といえば大阪。では堺の町は何倒れ?

アナタの地元は何で倒れる?
ご当地の○○倒れで分かる県民性


『大阪の食い倒れ、京の着倒れ』なんて言葉があります。
美味しい物が大好きな大阪人は食い道楽で散財し、身をくずしてしまう。
お洒落に敏感な京都人は着道楽で散財し、身をくずしてしまう。
そんな意味の言葉です。

実はこの「○○の○○倒れ」シリーズ。
大阪・京都以外にもたくさんあるんですよ!
少しだけ例を挙げてみましょう。

まずは東京。『江戸の呑み倒れ』。
宵越しの金は持たない江戸っ子が、夜遊びで散財する様子から名付けられたようです。

続いて奈良県。『奈良の寝倒れ』。
寝てばっかりで身を持ちくずす・・・。なんとも酷い言い回しですが
おっとりした奈良県民の県民性を表現した言葉らしいです。

ちなみにこの「○○倒れ」は江戸時代から流行した言い回しです。
探して見れば買い倒れ、履き倒れなどなど
全国各地に「○○倒れ」と呼ばれる場所があります。
調べてみると県民性が見えて面白いですよ。


それでは本題。
堺市はいったい何で倒れるでしょう?


正解は「建て倒れ」。

(え?)
と思われるかも知れませんが、堺市民は昔から立派な建築物が大好きなんですよ。

堺市の建築物は浜寺の四ツ池遺跡のある石器時代まで遡れます。
ここには今でもたくさんの住居跡が残っています。

古墳時代はおなじみ仁徳天皇陵。その後の飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代にもたくさんの建築物が建てられました。



でも「堺の建て倒れ」のあだ名が付いたのは江戸時代後期から。

堺は大昔から経済の中心地として栄えてきたのですが
江戸時代初期に経済の中心が大坂に移ってしまうとトーンダウンします。


でもそこは商売上手な堺っ子。
江戸時代後期より確立した酒造業を全国ナンバー2の地位まで押し上げ、それまで以上に町を活性化しました。

そして稼いだお金は
京都商人のように服にお金を使うわけでもなく
大阪商人のように食べ物にお金を使うわけでもなく
豪華な家を建てることに費やしました。


堺っ子達はいい物を食べることより、いい服を着ることより、いい家に住むことこそが最高の贅沢だと考えていたんでしょうね。

そして町には贅を凝らした建物が並ぶようになり、いつしか「堺の建て倒れ」と呼ばれるほど、立派な町家が建ち並ぶようになったそうです。

当時の建物として代表的なものが国内最古の町家であり重要文化財に指定された「山口家住宅」(堺区錦之町東)があります。
「堺の建て倒れ」の象徴とも言える建築物ですので、近いうちに当ブログで詳しく紹介したいと思っています。


食べ道楽に着道楽そして建て道楽。
さてさて。アナタはお金があれば何に使いますか?


政令指定都市って何?

堺市に住むことの大きなメリットとして「政令指定都市であること」があります。
ニュースを見ているとちょくちょく耳に入る『政令指定都市』。これ、何のことかご存じですか?

詳しく知りたい人は政治経済関連の解説サイトなどで調べてもらうとして、
ここでは簡単に説明したいと思います。

まず一言で説明するなら、
『近い将来に人口が100万人になりそうな大きな市だけがなれて、予算が増えるうえに都道府県でしか出来ない事が市でも出来るようになる』ということです。

また現在、政令指定都市は全国でわずか17市。
政令指定都市になることは「名実ともに大都市である」という証明でもあります。

政令指定都市って
どんなメリットがあるの?


さて上の説明にも出て来た道府県でしか出来ない事」についてちょっと補足説明を。

例をあげると道路や都市計画の決定、児童相談所や老人ホームの設置などがあります。
市がこれらを作って欲しいときは都道府県(堺市の場合は大阪府)に「新しく老人ホームを作って」とお願いしないといけません。

仮にOKが出たとしても返事を貰うまでかなり時間がかかります。
「NO」と言われれば計画は中止。何も出来なくなります。

でも政令指定都市なら許可を貰う必要がないので「必要だ」との声があがれば、素早く実行に移せます。図書館や文化ホール、体育館の新設など出来ることはたくさんあります。住民の声がダイレクトに生活を変えてゆけるのです。


実行するための財源も備えて
より住みやすい街へと変わる


地方交付税などが多く貰えるのも大きなメリット。施設の建築や運営には資金が必要ですが、その費用を増えた地方交付税によって賄えるのです。

地方交付税だけでなく地方道路譲与税、自動車取得税交付金、交通安全対策特別交付金も増額。ユニークなところでは「市で宝くじが発行でき、その収益も市の運営に使える」というのもあります。

繰り返しになりますが現在、政令指定都市は全国に17つしかありません。
市のイメージが上がれば「堺市に住みたい」「堺市でビジネスを始めたい」と思う人が増えてきます。
また堺市は古墳など名所名跡の多い場所でもあります。知名度とイメージが上がればさらに観光客が訪れるようになり、街はますます活気に溢れるようになるでしょう。

過去の歴史だけではなく、未来への大きな可能性を秘めた都市、堺。
これからの動きにも目が離せませんね。

幻になった堺市の地酒

『くだらない酒』ではない
美味なくだり酒


「くだらない冗談だ」など"馬鹿馬鹿しい"という意味で使われるこの言葉。
由来をご存じでしょうか?諸説ありますが、その1つに関東の酒を揶揄する
「くだらぬ酒」が語源だという説があります。

江戸時代、関東の酒よりも関西で造られた酒のほうが美味しく高価であり、
そこで江戸の人達は
「関西から下ってる酒はウマい」
と関西の酒を『下り酒』と呼び重宝しました。

(ここでいう"下り"とは「首都から離れる」という意味で、今でも「上り列車・下り列車」
というふうに使われています。江戸時代は京都が首都だったので「関西→江戸」は
下りになります。)

逆に関東で造られる酒はイマイチだったため
「関西から下ってこない酒。『下らぬ酒』だ」
と揶揄し、後に「くだららない」が「大したことがない」「馬鹿馬鹿しい」という意味を
持つようにになりました。



かつて銘酒の郷として数えられた堺市
明治時代より工業の街へと変化


関西には日本酒の郷として名高い兵庫県・灘をはじめ、大阪の池田・伊丹など
有名な酒造地があります。
実は堺市もこれらの地域と肩を並べる有名な酒造地でした。

江戸時代、関西の有名な酒造地は連合し江戸時代より『摂泉十二郷』という
酒造組合を作っていおり、その1つに堺市も入っていたのです。

堺市の酒造の歴史は約300年。江戸時代は江戸へ、明治に入ってからは
九州をメインに清酒を出荷。大正時代初期まで堺の製造業の生産金額1位であり
堺は清酒の一大生産地でした。

ですが明治の終わり頃より堺市は工業都市へとシフトチェンジ。
工業は酒造以上に多くの水を使うため堺市は酒造に向いた良い水が取れなくなりました。

しばらくは灘から水を取り寄せて酒造を続けてきたのですが、採算が合わなくなり先細り。
1970年代には堺市から酒蔵がなくなり、1997年には文化3年より創業以来堺のブランド
として親しまれた『金露酒造株式会社』も廃業になりました。

ちょっと寂しい話ですが、工業化に転じたからこそ、今の堺市の発展があるともいえます。
また堺は酒造業が途絶える間際、日本の飲酒文化に2つの大きな置き土産を残していきました。



日本人の飲酒スタイルを変えた
堺の2つの大改革


1つは国内初のビン詰め販売。
それまでは日本酒は酒樽で出荷されていましたが、堺の商人、鳥井駒吉が
ビン詰めで出荷することを考案。
扱いやすいビンを使うことで人々は気軽に酒を楽しめるようになりました。

もう1つはビールの普及。
これも堺市出身の偉人、鳥井駒吉氏のお手柄で「これからはビールの時代が来る」
と予見し吹田市にビール工場「大阪麦酒株式会社」を設立。シカゴ世界博やパリ万国博で
最優等賞を取る高品質のビールを開発し、日本でのビール普及に尽力しました。

ちなみに「大阪麦酒株式会社」は1989年に名称を変更。新しい社名はご存じ
「アサヒビール株式会社」です。

今では酒造業が行われていない堺市ですが、一升瓶の日本酒とビールという、
日本人のライフスタイルにとって必要不可欠なものを生みだしたのです。

国産線香のパイオニアである堺市

お香に関する""文化考察

お洒落に香りは欠かせない!?

 

このコラムもはや7回目。半年以上も、堺のさまざまな文化を紹介したことになります。

ふと読み返してみれば

「衣食住のうち住(建て倒れ)食(地酒)の文化は書いているのに、

衣に関してはまだ書いていない!」

と気がつきました。

そこで今回のテーマは、堺の衣文化である『和ざらしの浴衣』にしようと思ったのですが、

これを紹介するには時期はずれ。

そこで今回は衣服と関係の深いお香について取り上げたいと思います。

「衣服とお香」と言われてピンと来る人は少ないでしょう。

一般的にお香は、体につけたりアロマテラピーとして部屋で焚いたりするもの。

思い付くのは「お洒落好きな人が服にコロンをかけていること」ぐらいではないですか?

 

 

平安時代より貴族の間では

衣服にお香の匂いをつけることがエチケット

 

現代では服の香りまで気にかける人はほとんどいませんが、昔の日本人で身分の高い

の間では服に匂いを付ける行為は当たり前。マナーとさえ、いわれていました。

当時使われていたのは今のような液状の香水ではなく、火を付けて焚くお香。

香の材料には白檀、伽羅、沈香などがあり各々が趣向を凝らしてブレンドし自分好みの

香りを作っていました。

衣服に匂いを付ける際は『火取母(ひとりも)』という専用の香炉を使うか、

普通の香炉の上に『伏籠』という鳥カゴみたいなものを被せ、そのうえに服を乗せて

匂いを染みつかせたのです。

今でもお坊さんなんかはそうやって袈裟にお香を焚きこめて匂いつけをしています。

 

また燃え残った灰は洗剤として使っていました。灰に含まれるアルカリ成分に汚れを

落とす作用があったのです。もちろん今の洗剤ほど洗浄力はありませんでしたが、

香炉の灰で洗濯すれば乾いてからも良い香りが残ったそうです。

 

 

平成の世でも作られ続いている

伝統と優雅な香りが自慢の堺線香

 

現代で最も身近なお香といえば線香ですが、これが日本で作られるようになったのは

16世紀頃。

それまでは輸入に頼っていたのですが、堺のある薬種商人が海を渡り製法技術を

持ち帰ってくると国産の線香が作られるようになりました。

これを機に日本のアチコチで線香作りが行われましたが、最も多く作られたのは堺、

戦前まで全国生産量の6割を占めていました。これはお香の材料である香木が

東南アジアでしか採れず、それが真っ先に届くのが、東洋一の貿易港である堺だったこと、

堺に線香をよく使う寺社仏閣が多かったことが理由です。

堺の線香職人達は日夜研究を重ね「よりよい線香作り」に心血を注ぎました。

香料のブレンドや乾燥の時間など試行錯誤を重ねていくことで、堺の線香は

「香りの芸術品」と称されるまでになったのです。

 

 

「線香は匂いがちょっと苦手で...」

そんな人こそよい線香を使ってみませんか?

 

「線香の匂いって好きじゃない」という方。

ひょっとして安い線香を使っていませんか?

今ではサイフに優しい輸入品の激安線香がよく売れていますが、そういった線香は

安価な香料を使って工場で大量生産されたもの。香りも値段相応です。

ですが堺の老では今でも職人さんが秘伝の技術で調香し、火を付ければ

素晴らしい香りが漂う、量販品とはまったく違う線香が売られています。

「抹香くさい」「辛気くさい」と若者には敬遠されがちな線香ですが、堺の線香を使えば

そんな先入観も一気に吹き飛ぶことでしょう。

堺線香は輸入品線香と比べ値段は張りますが、最新技術を駆使して作られた

香水にも劣らない、雅やかな香りと癒し効果を持っています。

 

機会があれば一度試してみてください。

平安時代の貴族達が衣に香を焚き込めた気持ちがよく分かりますよ。

 

 

 

関西うどんを薄色にした犯人は堺の伝統産業!?

関西風うどんの色が薄いのは

堺名産の昆布のおかげ

 

「関西風うどん」といえば、色の薄いスープが特徴。

インスタントのカップうどんでも西日本出荷用はスープの色が薄く、東日本出荷用は

スープの色が黒っぽく濃いのは有名な話です。

 

ではなぜ関西のうどんは色が薄いのでしょう?

 

これを説明するには堺市名産『昆布』について触れる必要があります。

 

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▲駅前食堂の定番、うどん定食。スープの色はもちろん薄い。

 

 

堺で昆布加工の技術が発展したのは

こんぶロードの終着点だから

 

と言っても堺の港が昆布の産地だったワケではありません。

 

江戸時代、昆布の産地であり日本全国に昆布を流通させていたのは北海道です。

北海道でとれた昆布は日本海を通って北陸地方や中国地方の各港を経由。

そこから下関を通って瀬戸内海に入り、大阪の堺に運ばれてきました。

(ちなみにこのとき、通った海路は『こんぶロード』と呼ばれています。)

 

湿度が高い大阪で昆布を貯蔵すると昆布が熟成してより美味しくなります。

 

そして運ばれたのは刃物の街、堺。昆布を薄く削って作る「とろろ昆布」や「おぼろ昆布」

を製造するさい、刃物職人達の技術が多いに役立ちました。機械もない時代、薄く削る

には職人による高等技術が必要だったのです。

 

こうして堺で作られた昆布は関西地方を中心に広く西日本に流通しました。

昆布でダシを取れば、醤油をあまり使わなくてもじゅうぶん旨味が出ます。

そのため醤油の黒さの少ない、薄色スープの料理文化が発達しました。

 

関西うどんスープの色が薄いのは、こういう背景があるからです。

 

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▲昆布の加工品としておなじみ。昆布を薄く削って作られたとろろ昆布。

 

 

 

艶やかな黒さの関東ダシは

良質な醤油と鰹ダシの影響

 

関東地方のダシ事情にも触れておきましょう。

北海道から江戸に運ぶには太平洋を通るルートが近道。ですが太平洋は波が荒いので

太平洋航路はあまり使わず、そのため関東地方は関西ほど昆布が流通しませんでした。

 

そのうえ関東は硬水だったので昆布を煮ても旨味が出にくく、また優秀な醤油の産地が

多く醤油文化が発達ことから、関東では醤油を多く使う濃色スープの料理文化が発達しました。

 

余談ですが、テレビ番組にて、博多~東京間のうどんダシの色を調べるという企画がありました。

http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/01/10/1028.html

結果はご覧のとおり。

滋賀県米原より西は薄色、名古屋より東は濃色にハッキリ分かれるという、興味深い

調査結果が出ています。

 

 

 

 堺老舗店の昆布を料理に使えば

いつもの和食が贅沢な味わいに変わる

 

堺市には昔ながらの製法で職人さんの手作りで削っている昆布もあります。そのまま

美味しいのはもちろん、手作りの高級昆布でダシをとれば料理が格段に変わります。

とくに普段インスタントの昆布ダシしか使っていない人は堺産の昆布の味に驚くかもしれません。

 

昆布はいわずと知れた低カロリーのダイエット食品。食物繊維が多く便秘がちな人にもぴったり。

またカルシウムやミネラルも豊富なので、育ち盛りの子供から骨が弱くなったお年寄りにも食べ

ていただきたい健康食品。

昆布は「よろこぶ」とも語呂が似ている縁起物。お土産にもピッタリな品物です。

 

 

堺市と古武術

習得すれば最強の武術!?

堺ゆかりの○○

 

突然ですが、日本最強の武術とはなんだと思いますか?

 

空手?

柔道?

日本拳法?

 

それとも総合格闘技でおなじみの柔術でしょうか?

いや「剣道三倍段」の言葉で有名な剣道でしょうか?

竹刀よりリーチが長い槍や薙刀でしょうか?

 

格闘技マニアなら一晩でも語り尽くせそうな話題ですが

「この武術を身につけているとどんな相手にも勝てる」

という究極の武術があります。

 

 

 

 

 

それは『砲術』です。

 

 

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▲以前、紹介した『鳳翔館』さまで、保存している火縄銃。

 

 

うるさいだけの鉄砲を

武道に昇華した古人

 

砲術とは鉄砲および大砲を使う武術のことです。

「弾丸を込めて引き金を引くだけの銃火器が武術!?」

と異論がありそうですが、時代によっては武芸十八般にも加えられていた侍の嗜みです。

また、ただ撃つだけならともかく、キチンと習得するのは簡単ではありません。

 

事実、戦国時代に火縄銃が出回り始めた頃は

「火縄銃はなかなか当たらない」

「派手な音が鳴って馬が怯えるだけ」

と言われ、重要視されていませんでした。

鉄砲が伝来してからもしばらくは「当たるほうが珍しい」と思われていたようです。

 

ですが鉄砲の真の価値に気づいた一部の武将は、兵士に射撃の訓練をさせ、命中精度を

高めていきました。その過程で『砲術』という武道が確立していったのです。砲術を戦術に

取り込み、鉄砲を重宝した武将が天下を握ることになったことは皆さまもご存じの通りです。

 

砲術は、現在でもその技術を砲術の演武という形で今に伝えています。

 

 

 

 

戦国時代の結末を左右した

堺衆の火縄銃『堺筒』

 

戦国時代、堺は日本一の鉄砲生産地であり、多くの鍛冶職人が集まったそうです。

 

京や大阪といった当時の日本の中心地に近かったことや、貿易港である堺に海外から輸入

した硝石が豊富にあったことが理由に挙げられます(鉄砲を撃つとき必要な硝石は、日本で

はほとんど採掘されない貴重なものでした)。

また、鉄砲生産にはやく取りかかったこともシェアを伸ばせた一因です。

 

日本に初めて鉄砲が伝わったのは1543年。場所はご存知、種子島。

そのわずか3年後には橘屋又三郎(たちばなや またさぶろう)という商人が種子島に伝わった

火縄銃の製造法を、堺市に持ち帰っています。

 

そして1570年頃には織田信長とその部下、豊臣秀吉によって火縄銃の大量生産を受注し、

堺筒と呼ばれるブランドの火縄銃を大量生産しました。

 

もちろん生産するだけでなく、砲術の訓練も行われていました。

その名残として、七道駅の北側には小濱民部丞嘉隆なる砲術の達人をたたえた

『放鳥銃定限記』という碑石が残っています。

 

 

 

生活の中に溶け込んだ

火縄銃由来の慣用句

 

 

ふだん何気なく使っている言葉の中に、実は火縄銃由来の慣用句があります。

 

「目星をつける」「図星である」とは鉄砲の照準を星と呼んだことから生まれた言葉です。

また狙いを定める様子から「目当てをつける」。

狙いがはずれたことから「見当外れ」。

変わったところではこっそり隠しておいた玉(弾丸)をフイに取り出す「隠し玉」といった言葉も

生まれました。

 

いま街中で銃声を聞くことはめったにありませんが、鉄砲由来の言葉は日常的に飛び交って

いるのです。

 

 

 

 

堺ゆかりの戦国武将と堺生まれのキャラクター『こににゃん』

堺で生まれた戦国武将が
かわいい猫キャラになって復活

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▲「小西行長顕彰会」。HPトップに使われている、こににゃんヌイグルミ


堺ゆかりの武将に小西行長という人物がいます。
織田信長や伊達政宗みたいに有名ではありませんが、
調べてみると非常に味のある個性的な武将です。

そんな小西行長の魅力を感じ、同好の人達が集まってできた
「小西行長顕彰会」なるサークルがあります(ちなみに会長のひたなさんはFNNスーパーニュースの「戦国にはまる女性特集」で取材を受けた経験のある筋金入りの小西行長愛好家です)。

同会は小西行長のゆかりの地を巡ったり、多くの人に小西行長を知ってもらうのが目的で、
その活動の途中で 「こににゃん」というオリジナルキャラクターが生まれました。
そして今では、そのキャラクターが行政のイベントなどにも使われるようになっています。

武将を猫っぽくデフォルメしたキャラクターといえば「ひこにゃん」が有名ですが、ひこにゃんは彦根市が主導し、一般公募して生まれた、いわば行政主導のキャラクター。

一方、「こににゃん」はあくまで「小西行長公が好きで好きでたまらない」というファンたちの個人活動が生み出したキャラクターです。そんなひこにゃんが広まっていったのは、小西行長公が堺の人々に愛されていること、こににゃんのかわいさが広く受け入れられ、浸透したからこそですね。

こににゃんは現在「ファンが創作したキャラクター」という枠にとどまらず、イベントでの展示やグッズ展開などでも精力的な活動が行われています。

 

「ファンの創作イラスト」の枠に留まらず
イベント・グッズと大活躍!!


「こににゃん」が誕生したのは2007年4月1日。そして誕生してすぐ、
その年の10月には熊本県八代市博物館でのイベント『小西行長 -Don Agostinho-』にてイベントデビュー。受付横や講演会のスクリーンに「こににゃん」のイラストが使われました。

それを皮切りに、2008年9月東京都で開かれた、人と猫とを繋ぐイベント『猫の輪EXPO2008』にて、限定展示物の展示やグッズ販売。2008年10月には岐阜県・関ヶ原町町制80周年記念イベント『関ヶ原合戦祭り』にてグッズ販売など、こににゃんはイベントでひっぱりだこです。

また,2009年3月8日には熊本県宇土市民会館で行われている講演会「シリーズ再検証 小西行長」に参加。以降、宇土市がこににゃんを、小西行長をアピールするキャラクターとして使うようになりました。

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▲熊本県宇土市の講演会で使っていただいたスライドの写真


強く優しい敗軍の将
功績が評価される日は間近!?


こににゃんのモデルとなった小西行長公について簡単にご紹介しておきます。

小西行長は堺に源流を持つ戦国時代の武将です。堺で主に薬種業を営んでいた小西党の一族の次男として1558年に京都で生まれ、父親の影響を受けてキリシタンになりました。

成人してからは宇喜多直家や豊臣秀吉に仕え、数々の戦で功績をあげ、肥後(熊本県)20万石を任される大名に出世します。

薬袋をモチーフにした旗印をかかげ、めざましい活躍を見せましたが、関ヶ原の戦いでは石田三成率いる西軍に参加して敗北してしまいます。当時は敗色濃厚となると自害する武士もいましたが、行長は自殺を禁じるキリスト教の教えを守り、最後は捕まって斬首されました。

戦国時代を締めくくる関ヶ原の戦いで敗北したことで、それほど知名度は高くないですが、戦上手であり、巧みな外交手腕も持っていた、文武兼ね備えた名君でした。

また、優秀なだけでなく、堺商人たちが「武士というのは金が溜まらないものだ」と噂するほど、病院や孤児院など慈善事業に私財を費やしたことや、キリシタンが迫害された時代に自らの危険をかえりみずに宣教師達をかくまうなど、心優しい一面もありました。


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▲小西行長公居城・宇土城址(熊本県)の行長像とこににゃん

最近、ゲームやコミックなどで戦国時代ものがブームになっています。
ブームによって、それまでスポットライトの当たらなかった武将達も再評価されつつあります。
近い将来には堺出身の偉大な武将、小西行長公も再評価されることでしょう。

歩いて楽しい堺の名所めぐりコース

ハイキングとピクニック

言葉の違いって分かりますか?

 

暑さもやわらいできた今の季節。

クーラーのきいた部屋で過ごすのもいいですが、外の風も気持ちよくなってきました。

こういう季節は、旅行とまではいかなくてもちょっと外出したくなりませんか?

 

そんなお手軽な外出のときに使う言葉に「ピクニック」と「ハイキング」があります。

また、それらに似た言葉に「ウォーキング」という言葉もありますね。

でも、これらの言葉の意味の違い、ご存じですか?

 

どの言葉にも「軽装備で歩く」という漠然としたイメージならありますが、

「何が違うの?」と聞かれると、答えにくいところです。

 

 

ピクニックとはお弁当など食事を持参して山や湖など自然の豊かなところで食事をすることです。

言葉の由来はフランス語の pique(食べ物をつまむ)で、語源から分かるとおりお弁当を食べることが主目的。

食事場所である野山に行けるのであれば、バイクやタクシーで行くのもOK。歩く必要はありません。

 

ハイキングの語源は英語でもともと「ぶらぶら・てくてく歩く」という意味の単語が変化したもの。目的は歩くことで、自然豊かな場所や史跡など名所の景色を楽しめる場所をのんびり歩いて見て楽しむ娯楽です。

 

ウォーキングとは文字どおり歩くことです。

ピクニックやハイキングが行楽目的なのに対し、ウォーキングは運動です。

体への負担が少ない運動で、高齢者やふだん体を動かさない人でも気軽に取り組めるスポーツです。

(ただし海外では"長距離を歩く過酷なスポーツ"というとらえ方をする国も多いそうです)。

 

それぞれ意味は違いますが、しっかり歩くピクニックもありますし、お弁当持参でハイキングに行く人もいます。そうなると、それがピクニックなのかハイキングなのかは、本人たちの意向次第ということにもなってきます。言葉の意味が違っても、現実の境界線があいまいだから混乱してしまうんですよね。

 

 

 

堺の魅力を11カ所いっぺんに味わえる

よくばり散策コースを紹介

 

さて、今回はそれらの中でも「ウォーキング」runについて取り上げたいと思います。

 

2004年に社団法人『日本ウォーキン協会』が「美しい日本の歩きたくなるみち500選」を発表しました。

これは約2400件もの応募があったウォーキングコースの中から書類選考で630コースを選び、協会の評価診断員が実際に歩いて評価し、500コースに厳選したものです。

全都道府県から平均10種類のコースが紹介されていて、大阪府も10コース紹介されています。

そのなかには『商都・堺、千利休と与野晶子を偲ぶみち』という堺市のコースも含まれています。

 

 

スタート地点の最寄り駅は南海線「堺駅」。

ここから海の方法に向かいって進み、現存する木造建築の日本最古の灯台「旧堺燈台」

「大公園」

明治36年に設立され一度は撤去されたものの2000年に復元された「龍女神像」

新鮮な魚が食べられる「堺魚市場」

フランシスコ・サビエルをもてなした豪商の屋敷跡に造られた「サビエル公園」

堺刃物の文化を楽しめる「堺HAMONOミュージアム」

有名なお坊さま行基、空海とゆかりのある「開口神社」、

与謝野晶子が結婚するまで過ごした生家跡で石碑が残っている「与謝野晶子生家跡」

千利休の屋敷跡で今も井戸が残っている「千利休屋敷跡」

国の重要文化財「大安寺」

かつて千利休が修行を行った「南宗寺」

の11カ所を巡るコースとなっています。

 

 

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     背の高い建物が立ち並ぶ場所を歩いていると突如として現れる「千利休屋敷跡」。初めて見たときは「何だココは!?」とビックリしました。090807-2.jpg

▲「龍女神像」。海に近い場所からだと非常に目立つ存在でした。

コースは全長8キロ。一般の人の歩く速度が時速約4キロですので、スポットで止まらず、寄り道せずに歩けば2時間程度で歩破できます。

ただ、自然豊かな公園や興味深い史跡がふんだんに取り入れているうえ、道々には美味しいお店やお土産を買える老舗店にたくさん出会えるので、2時間といわず半日ぐらいかけて、ハイキング気分で楽しんでしまうのもいいですね。

オイシイなにわやさいで冬を乗り切ろう

 

秋はたっぷり野菜を食べて

健康的な毎日を

 

スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋。

......しかし何といっても食欲の秋!

 

という決まり文句で始めてみましたが、やっぱり秋といえば美味しい食べ物ですよね?

秋は収穫のシーズン。果物は熟して、野菜は収穫時期をむかえ、様々な食材が食卓を彩ります。

 

大阪は工業・商業の街というイメージが強く、野菜の産地という印象はあまりありません。

ですが大阪にだって、大阪でしか食べられない、個性的なおいしさのなにわ野菜があります。

 

 

 

消えそうな伝統の灯が再燃した

"なにわ野菜"って知ってる?

  

「なにわ野菜って何ですか?」

大阪在住の人でも、なにわ野菜のことを知らない人は多いでしょう。少し説明します。

なにわ野菜とは、大阪で100年以上前から伝統的に栽培されてきた野菜のことで

、『京野菜』の大阪バーションといえば雰囲気が伝わるでしょうか。

なにわ野菜の品種には、天王寺かぶら、田辺だいこん、勝間南瓜、毛馬きゅうり、

玉造黒門越瓜、大阪しろ、などがあります。

 

どうです。

どれも耳なじみのない野菜ばかりでしょう?

それもそのはず。かつて大阪のアチコチで栽培されていたなにわ野菜は、農地が都市化してしまったり、より育てやすいコストの安い種が主流になるなどして、多くが廃れてしまっています。

また、なにわ野菜は煮物や漬け物にピッタリの味なのですが、食生活が西洋化してそれら和食が食べられなくなったのも廃れた原因です。

 

しかし、他の野菜にはない個性的な味に魅了された有志が立ち上がり、『大阪府環境農林水産総合研究所』『大阪府立農林技術センター』など公機関の助力を得て、なにわ野菜は復活に向けてゆっくりと進んでいます。

現在では、一部のレストランでなにわ野菜を扱っており、その味を楽しむことができます。京野菜のように気軽に買えるくらい流通する日が来るかもしれませんね。

 

 

 

 なにわ野菜の代表格

泉州名物の水ナス

 

さて、そんななにわ野菜の中で京野菜を凌ぐほど知名度があり、全国的に流通していて、

なおかつ美味しい野菜があります。

それは通称「水ナス」と呼ばれている、泉州ナスです。泉州の名が示すとおり堺市や隣接している

貝塚市や泉南市で栽培されているナスです。

 

一般的なナスと違い、太く短い特徴的な見た目をしています。

また名前のとおり水分がたっぷり含まれていて、昔の人々は畑仕事の合間、喉の渇きを潤すためにこの泉州ナスを食べていたそうです。

 

泉州ナスは浅漬けやぬか漬けなど漬け物として食べられることが多いですが、焼いて食べても

美味しいナスです。また、普通のナスはアクが強くて生で食べるとエグい味がしますが、

泉州ナスはアクが少なくてほんのり甘いので、生野菜のサラダとして食べることもできます。

 

お酒のおつまみにもピッタリで加熱調理の際も火の通りが早く料理もラクチン。

そのうえ今は「秋ナスは嫁に食わすな」なる有名な言葉があるほど茄子が美味しい季節。

泉州が誇る水ナスをぜひご賞味あれ。

 



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▲左が水ナス。水がスーパーなどで広く市販されている水ナスの浅漬け。
ジューシーな食感が特徴

今回は知名度の高い泉州ナスを紹介しましたが、堺市では

毛馬胡瓜、天王寺蕪、田辺大根などの伝統野菜も栽培されています。

 

もちろん伝統野菜だけではなく普通の野菜だってたくさん作られています。

なので堺の商店では産地直送、鮮度バツグンの野菜がたくさん並んでいるのです。

 

今年の冬はインフルエンザが大流行しそうなきざしです。

新鮮で栄養たっぷりの野菜をたくさん食べて抵抗力を付け、流行期に備えましょう。

 

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▲八百屋さんの店頭には秋野菜が並びつつあります。

 

 

堺の難読地名クイズ

 

地名を見れば土地柄が分かる!?

町名にも古都の雰囲気ただよう堺市

 

 

ふだん何気なく見過ごしている町名。でもジックリ見れば、その町がどんな歴史を

たどってきたかが分かり興味深いものです。

 

例えば鉄砲町(堺区)。ご存知のとおり堺は鉄砲づくりの国であり、鉄砲町は鉄砲作りが

盛んだった町の一つ。この町には今でも鉄砲鍛冶屋が残っています。

陶器北(中区)や木材通(美原区)、櫛屋町(堺区)もそれぞれ町名通り陶器づくり、

木材売買、堺名物和泉櫛の問屋が盛んな町でした。

 

 

 

さてさて。

古くからある地名には昔ながらの読み方をするため、初めて見た人には読めないものもあります。

関西圏だと大阪の放出(はなてん)、京都の先斗町(ぽんとちょう)、兵庫の出石(いずし)

などが有名ですよね。

 

そこで今回、堺市にある難読地名を15個ピックアップしてみました。

堺っ子なら全問正解して当たり前!

堺っ子じゃないのに10問以上正解できたら、堺市通を名乗ってもヨシ!

 

 

(※正解は最下部に記載しています)

 

 

 

 

091019_01.jpg▲竜神橋町にある竜神堂。難読地名ではないがゲームに出てきそうなカッコいい名前なのでお気に入り。

 

 

 

 

難しい? それとも簡単?

堺市の難読町名クイズスタート!

 

 

難易度:初級★☆☆☆☆

素直に読めばすぐ分かる。

 

阿弥(美原区)

 

賑町(堺区)

 

楢葉(中区)

 

上(西区)

 

土塔町(中区)

 

 

 

 

難易度:中級★★★☆☆

ちょっと頭を使うかも

 

八下(東区)

 

日置荘(東区)

 

毛穴町(中区)

 

美木多上(南区)

 

百舌鳥(北区)

 

 

 

 

難易度:上級★★★★★

堺っ子じゃないと正解は不可能かも!?

 

土師町(中区)

 

三木閉(南区)

 

大豆塚町(北区)

 

大饗(美原区)

 

遠里小野町(堺区)

 

 

 

 

 

さて皆様。正解率はいかがだったでしょう?

堺っ子なら分かって当然の地名ばかりですが、それ以外の人にはなかなか手強い問題

だったと思います。

 

それぞれ名前の由来にも興味深いものがあり、詳しく紹介したいと思ったのですが、

それをやるととても長くなってしまうので涙を飲んで断念。

 

ちなみに大阪は坂道が多かったから

堺は3つの国(摂津・河内・和泉)の境にあったから

そんなシンプルな理由からその名前が付いたそうです。

 

 

 

 

 

 

回答:

難易度初級は上から順に「あみ」「にぎわいちょう」「ならば」「かみ」「どとうちょう」

難易度中級は上から順に「やしも」「ひきしょう」「けなちょう」「みきたかみ」「もず」

難易度上級は上から順に「はぜちょう」「みきとじ」「まめづかちょう」「おわい」「おりおのちょう」

 

 

 

 

 

堺市のお祭り&イベントリスト

宗教も商業も歴史があって盛んな堺市

だから祭りもイベントも豊富にあって1年中楽しい!

 

長い歴史を持ち、商都で仏教も盛んだった堺市には、1年を通してお祭りがいっぱい。

何百年もの伝統がある行事から、近代になって生まれたイベントまで盛りだくさん。

お気に入りリストに入れて1年中堺市を楽しんでください!sun 

 

1月

2日『古式弓道弓始式』

百舌鳥八幡宮(堺市北区百舌鳥赤畑町)

昔から伝えられた作法にのっとり、神前で行われる弓始式。

一般的な弓道では約30メートル先の的を狙いますが、この儀式では60メートル。

大阪府弓道連盟の方々が天下泰平五穀豊饒を祈念し的を狙い撃ちます。

見学者には解説も行われますので、弓道や神事を知らない人でも楽しく見ることができます。

 

 

15『大とんど』

家原寺(堺市家原寺町)

長い竹を組んで立てたものに門松やしめ縄などの正月飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く行事。

炎に向かってお祈りすれば、無病息災や字の上達などの御利益があります。

全国各地で行われる行事ですが堺市では家原寺のものが有名。炎が大きく高さ5メートルにもなります。

 

 

 

2月

3日『鈴占神事』

蜂田神社(堺市中区八田寺町)

鈴の音色でその年の吉凶を占うとても珍しい神事です。

境内の土で十二支ぶんの干支の鈴を作り、その鈴を振って音を聞いて占うというものです。

行事は非公開であり、参拝者は鈴の音を聞くことしかできないという、ちょっとミステリアスな内容。

参拝の際には手作りの御守り鈴をもらえます。

 

 

上旬~『堺刃物まつり』

堺市産業振興センター(堺市北区長曽根町)

刃物の町、堺を象徴するイベント。

包丁やハサミの展示即売、使用済みの包丁の供養、古式鍛錬の実演、デザイン展、コンクールなどなど様々な企画が行われます。

 

 

 

3月

21『春季祭』

少林寺(堺市堺区少林寺町東)

狂言や歌舞伎で演じられる『釣狐』の舞台になったお寺で行われる鎮守白蔵主稲荷の例祭です。

 

 

 

4月

4日『超善寺の桜まつり』

超善寺(堺市堺区熊野町東)

樹齢30年以上の桜約30本が咲く名所、超善寺。毎年第1日曜日には福もちまきなどのイベントが行われます。

 

 

13『花摘祭』

大鳥大社(堺市西区鳳北町)

平安時代より続く、無病を祈願して始まったお祭りです。

摘み取った花で飾られた神輿や花車が町を巡行し、最後に神社の御神前に花かごを奉納します。

 

 

 

5月

4月下旬~『ツツジの通り抜け』

浅香山浄水場(堺市北区百舌鳥梅北町)

「大阪みどりの百選」の一つに選ばれたツツジの名所。

2000本を越える「ヒラドツツジ」が来た人達の目を楽しませてくれます。

ちなみに昨年は7万人を越える観光客が訪れました。

 

 

5月中旬『ツアー・オブ・ジャパン大阪ステージ』

泉北周辺コース(堺市堺区)

自転車の町、堺をスタートに奈良、美濃、南信州、富士山、伊豆、東京の全国6ステージで行われる、アジア最大規模の国際自転車競技連合公認ナショナルステージレースです。

 

 

 

6月

31日~1『愛染まつり』

発光院(堺市堺区新在家町東)

堺の夏祭りの中でも最も早く開催される通称「愛染さん」の夏祭り。

期間中は浴衣の参拝客や夜店でにぎわい一足早く夏本番気分を味わえます。

 

 

5月下旬~6月上旬『ハナショウブ』

白鷺公園(堺市北区金岡町)

生命力ある緑の茎に色あざやかな花を咲かせる花菖蒲が約150種1万株。入園料不要で無料駐車場もあるので気軽に立ち寄れます。お弁当持参の家族連れも多いです。

 

7月

17『堺市民能』

堺市民会館(堺市堺区翁橋町)

本格的な能や狂言を気軽に観覧できます。演者は第一線で活躍する一流の人達で人間国宝の方が来られたこともあります。

 

 

31日~81『御輿渡御』

宿院頓宮(堺市堺区宿院町東)

「べーら」というかけ声をあげながら御輿を担ぎ、大阪市の住吉大社から堺市の宿院頓宮まで練り歩くお祭りです。一番の見せ場は川渡り。御輿を担いだまま大和川を渡るシーンは圧巻です。

 

 

 

8月

15『万灯会』

法雲寺(堺市美原区今井)

境内に1000本のロウソクの火を灯し無病息災を祈る、100年以上続いた伝統行事。

ロウソクが灯っているのは夕方6時30分頃から9時頃までで、その間幻想的な雰囲気が味わえます。

もちろんお祭りに付き物の夜店もあり小さな子供から大人まで楽しめます。

 

 

14日~15『金岡町大太鼓担ぎ』

金岡神社(堺市北区金岡町)

大太鼓の上に人が乗った御輿を担いで町内を巡回し、境内に戻るという勇壮なお祭りです。

 

 

 

9月

9月中旬『ふとん太鼓』

百舌鳥八幡宮はじめ堺市各地の神社

ふとん太鼓とは朱色の布団を重ねた飾りと太鼓が乗った豪華な御輿のこと。それを担いで町内を練り歩きます。

百舌鳥八幡宮では、中秋の名月に行われるので「月見祭」と呼ばれています。

 

10

10月上旬~中旬『だんじり祭り』

大鳥大社はじめ堺市各地の神社

だんじり祭りといえば岸和田が有名ですが堺市でも盛んに行われています。

祭りに欠かせない地車も80台以上あり、堺を代表する祭りでもあります。

 

 

3日『上神谷のこおどり』

櫻井神社(堺市南区片蔵)

堺市内で唯一、国選択・府無形文化財にも指定されている歴史と伝統ある行事。

鬼や天狗に扮した踊り手が道歌を歌いながらユーモラスな踊りを披露します。

 

 

 

11

16日~17『堺まつり』

大小路筋、大仙公園、ザビエル公園など

堺市民会館大ホールにタレントを招いての前夜祭、場産品即売会のなんばん市、世界の民族衣装を着た行列、鼓笛隊、変わり種自転車、ふとん太鼓など総勢約7000人が参加する大パレードなどなど、お楽しみ内容盛りだくさんのイベントです。

 

 

23『堺市農業祭』

大仙公園(堺市堺区大仙中町)

堺市内でとれた農畜産物の物販「とれとれ市」をメインに一輪車演技やバンド演奏も見られるイベントです。

 

 

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14『やっさいほっさい祭り』

石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)

108束のシバに火を付け、「やっさいほっさい」のかけ声とともに素足で火渡りをするという「泉州の奇祭」とのあだ名がある変わったお祭りです。祭りで使ったシバの燃え残りを持ち帰ると、厄除けになると言われています。

 

 

※日程やイベント内容は変更される場合があります。遊びに行かれる際には最新情報をチェックすることをオススメします。

物流拠点としての堺

良質な港にめぐまれ世界中と貿易してきた堺

物流の街→製造業の街

 

堺市が物流拠点として機能し始めたのは、実に700年も前の南北朝時代からのことです。

明(今の中国)との勘合貿易から始まり、戦国時代はスペイン・ポルトガルなどの国との、

いわゆる南蛮貿易が活発に行われ、その利益による街のにぎやかさから『東洋のベニス』と称されていました。

 

堺は海外向け貿易だけでなく、国内各地へ名産品を送る物流の拠点としても重要な場所でした。陸路は難波大や丹比道、大津道などの道路が早くから整備されており、海路は廻船という国内運送用の船が巡っていました。京都や大阪など、大都市向けの荷物が続々と堺に集まっていたのです。

 

古くから貿易の町、物流の町として栄えた堺ですが、江戸時代には港に土砂が堆積して大きな船が停泊できなくなり、湾岸機能が低下してしまいます。

 

また、黒船がやってきた幕末には「古墳の多い堺市を貿易港のままにしておくと、外国人が古墳を荒らす恐れがある」との理由で貿易都市の座を神戸に明け渡し、物流の町としての色合いが薄くなっていきました。

 

その代わりに製造業が発展していき、堺は醸造業や染め物や織物、刀剣や鉄砲など、ものづくりの町へと生まれ変わっていきました。

 

 

 

交通網の発達で

ものづくりの街+物流の街へ

 

工業地帯として発展しながらも、堺市は交通インフラを充実させながら物流の街としても再び発達していきます。

 

電車や高速道路が早くから作られ、今では大阪市内まで約30分というアクセス便利な街へと変わりました。

 

土砂流入で埋没しがちだった港も、埋没対策や修築工事が重ねられ、

昔以上の良質な港に変貌。

 

空路は1994年、この臨海工業地帯から車で30分の場所に関西新空港が完成。

今では、陸海空の交通インフラがすべて整っています。

 

 

交通インフラの整った堺市に、たくさんの企業が集まってきています。

特に最近話題になったものは以下の2つの企業です。

 

世界最大規模の液晶パネルの工場であるシャープの堺工場と、

ネット通販で有名なアマゾンのアマゾン堺FC(フルフィルメントセンター)です。

 

シャープは亀山ブランドとしてネームバリューのあった工場を堺市に移転した理由のひとつに

「空港や港湾などの物流インフラも整備されている」ことを挙げています。

 

またアマゾンは将来、関西新空港を使って東南アジアなどへの

物流拠点として活用することを目指しているそうです。

 

こうした輸出企業が集まってくる中、

再び堺が『東洋のベニス』と呼ばれる日が来るのも近いかもしれませんね。

堺の"意外な"物の始まり

刃物や鉄砲だけじゃない

あまり知られていない堺発祥のあれこれ

 

堺発祥のものといえば鉄砲や大筒、国産自転車や煙草包丁が有名。

それ以外にも堺緞通や当コラムで取り上げた国産線香など

歴史あるものづくりの街だけあって、工業製品が多いのが特徴です。

 

でもよく調べてみると「え? こんな物も堺が発祥!?」というものがたくさんあります。

それでは今回、堺のちょっと変わった物の始まりを紹介していきます。

 

 

国道に学生相撲に金魚などなど

あれもこれも始まりは堺

 

まずは国道1号線。

「国道1号線って大阪北区じゃなかった?」と思われた方もいるのではないでしょうか。

確かにその通りです。現在の国道1号線は大阪市北区~東京中央区を結ぶ道路ですが、

実は国道の定義である『国が建設・管理する道路』という意味で照らし合わせれば、

堺市にある竹内街道が最古の国道になります。

 

竹内街道は堺市役所付近から奈良県葛城市を結ぶ道路で推古天皇の時代613年に作られました。

国道1号線が作られたのが1885年。いまの国道より千年以上前に作られたことになります。

ちなみに竹内街道は今でもほとんどの部分が残っていて、現在は国道166号線に指定されています。

 

交通繋がりでもう1つ。国内初の航空会社も堺市発祥です。

1922年にできた日本航空輸送研究所がそれで大阪堺から徳島県を結ぶ空路でした。

 

 

次はアマチュアスポーツの学生相撲。

日本初の全国学生相撲大会は1919年、堺市大浜で第1回が開催されました。

この大会、名称を『全国学生相撲選手権大会』と変え、

今は大浜公園相撲場と東京の両国国技館を隔年で使い、毎年開催されています。

プロの相撲取りは中学校や高校卒業と同時という若いうちから入門するのが一般的でしたが、

最近では大学に入りこの学生相撲選手権大会で好成績をおさめてからプロになる人も増えています。

 

スポーツつながりでもう1つ。国内初のスイミングスクールも堺市発祥です。

1906年より開かれた堺市西区の浜寺水練学校が国内初のスイミングスクールです。

またここは音楽に合わせて泳ぐことを国内で初めて行った場所であり、

そのことから「日本で初めてシンクロナイズドスイミングが行われた場所」とも言われています。

 

最後に金魚を紹介しましょう。

金魚といえば養殖日本一の奈良県郡山都市が有名。

でも日本に初めて金魚が持ち込まれたのは堺です。

1502年に明(いまの中国)より輸入したものが始まりで今では交配により様々な種類がありますが、

当時は赤・白・黒の3種類だったそうです。

 

金魚つながりでもう1つ。日本初の金魚育成マニュアル本である『金魚養玩草』の著者安達喜之は堺市の人物。

1748年に刊行されたこの本がきっかけで全国に金魚ブームが生まれました。

 

他にもまだまだたくさんありますので、機会があればまた紹介したいと思います。

「一足早く春を満喫しよう」

まだ肌寒い日が続いていますが、春はもうすぐ。

つい出不精になりがちなこの季節ですが、春の花々は元気に咲き乱れる準備をして、

中にはすでに咲いている花もありますよ。cherryblossom 

今回は堺市にある「春の花を少し早く楽しめる」みどころを紹介しましょう。

家族連れで遊びに行けば健康的に楽しめて、

オマケにお財布に優しい休日が過ごせることうけあいです。

 

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一足早く春を満喫

堺市で見られる早咲きの花々

 

「早咲き」とは開花時期が早いことのほか、

普通の開花時期より早く咲く品種の花のことも指します。

 

例えば、春に咲く花の中でも比較的早く咲くのが梅ですが、

その梅の中にもたくさんの品種があり、早咲きのものは2月中旬。

まだストーブの手放せない寒い時期に咲きます。

 

濃い赤色をした鹿児島紅やポピュラーな種類である寒紅梅、

白い花をつける月影などが早咲きにあたります。

 

梅の花見を満喫したい人には堺市南区にある荒山公園がピッタリ。

ここには約50品種、1300本もの梅の木が植えられています。

 

 

珍しいところでは『冬咲きチューリップ』なんてものもあります。

一般的なチューリップの開花時期は4月~5月頃ですが、

冬咲きチューリップは2月下旬ととっても早く開花期間も

約1か月と普通のチューリップより長く花を楽しむことができます。

 

この花が見られるのが大阪府堺市堺区東上野芝町の堺市都市緑化センター

色とりどりのチューリップを誰よりも早く楽しめます。

 

さて早咲きの花を見終わると気候も暖かくなり、もうすぐ桜の花見のシーズン。

「一刻も早く桜を見たい!」

という人にオススメなのがJR中百舌鳥駅です。

「公園とかじゃなくて駅?」

と思われるかもしれませんが、中百舌鳥駅の駅前には立派な大寒桜の木が立っていて、

毎年見事な花を咲かせます。

 

大寒桜は普通の桜より少し早い3月中旬に満開になり、

下向きに咲く淡い桃色の花弁が目を楽しませてくれます。

 

 

早咲き花見が終われば

花のシーズン本番到来!

 

早咲き、冬咲きの花を見終わると、堺市にも本格的な花の季節がやってきます。

自然豊かな堺市には桜の花見に最適な公園が数え切れないほどあり、

宿院頓宮(堺区宿院町東)や超善寺(堺区熊野町東)など桜まつりが催される場所もあります。

 

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そして4月になれば観光客の多く訪れる、浅香山浄水場のツツジの通り抜けも催されます。

少し先ですが6月は白鷺公園の花菖蒲が見頃になるなど花のイベントが続々開催予定。

これから堺の美しい花と緑が街を彩る日が続いていきます。

日本の陶器づくりの源流となった堺の『須恵器』

「ものの始まりは~」とのテーマでいくつかの物をコラムで取り上げてきましたが、

今回紹介する物はおそらく最古のものの始まり。はるか1500年も昔の話です。

 

その時代、堺で作られていたものは......"焼き物"です。

 

焼き物と言えば瀬戸焼、信楽焼、備前焼などが有名ですが、

その源流とも呼べる須恵器(すえき)は朝鮮半島から伝わり堺で大量生産されるようになりました。

 

 

野焼きの「土師器」から窯焼きの「須恵器」へ

 

古代の日本では土師器(はじき)という素焼きの土器が作られていました。

色や材質は土師器の一種であるハニワ、

もしくは小学生の頃に図工の授業で作った素焼きの皿を想像して頂ければ分かると思います。

 

土師器はヒモ状にした粘土を積み上げて皿の形にして地面に掘った穴の中に置き、

その上で焚き火をして焼き上げ作ります。

簡単に作れるので集落の中で自給自足的に作られてきましたが、

割れやすく耐水性がないという欠点がありました。

 

 

そんな欠点を解消した焼き物が、5世紀頃に朝鮮半島より伝わった須恵器です。

須恵器は茶道の茶碗や花瓶などで使われる青黒っぽい器を想像して頂ければ分かると思います。

見た目の美しさも優れていて、丈夫さと耐水性で勝っていましたので須恵器は広く愛用されるようになりました。

 

 

須恵器の大量生産を可能にし、その技術が全国に伝播

各地で有名な陶器づくりの里が生まれる

 

ただ、土師器と違い須恵器の作り方は難しく、粘土を成形するための「ろくろ」、

丘などの傾斜地に幅2メートル長さ10メートルの大きなトンネルを掘って作った

「穴窯」が無ければ作ることができません。

また、それらの道具を使いこなす熟練した職人さんの存在も必要不可欠です。

 

このため「必要になったら気軽に作る」という自家生産ができず、

伝来した当初は北九州、瀬戸内などの一部の地域で細々と生産されていました。

 

ですが堺に伝わると職人さん達が1つの地域に集中し、

たくさんの窯を作って大量生産を開始。窯の数は全盛期で1000以上。

全国一の生産量を誇る須恵器生産地帯を作りあげました。

(日本の工業地帯のはじまりも堺かもしれません)。

 

この地域のことは日本書紀にも記載されており、

当時は『茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)』と呼ばれていたそうです。

 

そしてここで培われた技術は全国へと伝わり伝来先でさらなる進化を遂げ

前述した瀬戸焼、信楽焼、備前焼など特徴ある焼き物が生まれました。

 

現代では茅渟県陶邑は遺跡となり『陶邑窯跡群』と呼ばれるようになりましたが

残念ながらほとんどの遺跡が住宅地を作るために取り壊されてしまいました。

保存状態の良い窯跡は、大阪府立泉北考古学資料館に保存されています。

ここでは焼き窯の他にも陶器の出土品など歴史的価値あるものがたくさん展示されています。

一流品と呼ばれ続けて500年『堺刃物』

包丁を安物から堺刃物にすれば

料理の腕が数段アップ

 

 

安くて便利な百円均一ショップ。

買い物に行くと「こんな物まで100円で買えるの?」と驚くことが多々あります。

そんな商品の1つが『包丁』。

さて、安い100円の包丁と堺包丁のように何万円もする高い包丁。果たしてどこが違うのか?

使い比べてみると切れ味の差は一目瞭然。

魚やトマトなどを切るとき、安い包丁では力を入れないと皮の部分で跳ね返されてしまいますが、高いものだと包丁の重みだけでスッと吸い込まれるように切れます。

 

キャベツの千切りをするとき

「TVでプロの料理人がサクサク切れるのに、自分が切るとボロボロになる」

と嘆いている人は良い包丁に買い換えてみるのはいかがでしょう。

 

ではどうして高い包丁は良く切れるのでしょうか? そもそも包丁の値段を左右しているのはなんでしょうか?

理由のひとつは素材です。質の良い鋼材を用い、手間をかけた熱処理と研ぎをしているからです。

安い包丁だと高級な鋼材は使えませんし、大量生産するため熱処理や研ぎに時間をかけられないので、切れ味の良い包丁が作れないのです。

 

 

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          一本一本手作りする高級堺包丁は切れ味だけでなく握り心地も格別。

 

 

 

江戸時代は国内でお墨付きを受け

現代では海外での愛用者も急増中

 

さて、堺市は包丁の生産地としても全国に名高いことはご存じでしょうか。

1542年にポルトガルより伝わった煙草が国内で流行し、煙草の葉っぱを刻むために煙草包丁のニーズが生まれたことから始まりました。

舶来品より優れた煙草包丁を製造できた堺は「堺極(さかいきわめ)」という幕府お墨付きの極印を押して専売品として売ることが認められ、全国的にその名を広めます。

そして江戸時代に堺で出刃包丁が発明されると、それがきっかけで様々な料理用の包丁が発明されました。

 

500年経った現在、堺の包丁は今もなお逸品として知られていて、一説によると和食のプロの9割()が堺包丁を使っているそうです。

また、和食ブームの影響もあり、堺包丁は北米やヨーロッパ向けの輸出も増え、鋭い切れ味と和包丁の持つ美しさから人気を博しています。

食材を美しく切れる堺包丁は、和食だけでなく、見た目の美しさを重要視するイタリア料理やフランス料理のプロでも愛用する人が増えているそうです。

 

 

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▲毎年2月頃に行われる『堺刃物まつり』では火花飛び散る古式鍛錬の様子が間近で鑑賞できます。

 

それでは最後に包丁に関する豆知識を1つ。

包丁の種類の中で『出刃包丁』というものがありますが、なぜこういう名前が付いているのかご存じでしょうか?

出刃包丁が発明されたのは元禄時代(西暦1700年前後)の堺。

少々マツユバな話しではありますが、発明した職人さんが出っ歯だったから、この名前が付いたそうです。

『来る者は拒まず 交流都市堺』

歴史があるのに気取らない

誰でもウェルカムの堺市

 

悠久の歴史を持ち地元の人達は先祖代々その土地に住んでいる人ばかり。

そんなロマンあふれる古都を旅するのは楽しいものです。

 

ただそういった歴史ある町、郷土愛の強い町はどこか排他的なもの。

どうしても"一見さんお断り"という雰囲気が出てしまうものです。

 

ところが堺市に限ってみれば、そういう雰囲気はほとんど感じません。

むしろニュータウンや新しい住宅などもたくさん建てられ、外来者を歓迎する雰囲気さえあります。

(ちなみに今までたくさんのお店様へ取材にお伺いしましたが、

みなさま社交的でどのお店の皆様も好意的に迎え入れてくれました)

 

ではなぜ古墳時代から平安時代、戦国時代に江戸時代そして近代に至るまで個性的な文化を生み出した歴史ある場所であり、自らを"堺っ子"と呼ぶ郷土愛の強い人達が外から来る人に寛大なのでしょうか?

 

その秘密は長い貿易都市だった事と、茶道の心にあると推察しました。

 

 

茶道の心と貿易都市としてのDNAが

外来者を歓迎する気質を作った!?

 

まず1つ考えられるのは堺が生んだ偉大な文化人、
利休が完成した茶道の心にあると思います。

 

茶は中国から薬として伝わり、お茶の銘柄を当てるゲーム(闘茶)として流行した時期を経て、

安土桃山時代に「わび茶」へと進化しました。

 

茶道はお茶の味を楽しむこと、礼儀作法を守ることも重要なポイント。

ですが最も大事な要素は「お客をもてなす心」とされています。

 

そういった精神が生まれた場所だからこそ、外から来る人にも優しく接することができるのでしょう。

 

 

もう1つには古代から現代に至るまで、貿易都市だったことでしょう。

陸路では京都・奈良・大阪という3つの大都市に隣接する物流拠点。

 

物が集まる場所には物流だけでなく人と人との交流も生まれます。

堺市は近畿の3県だけでなく、海路を通じて海路では薩摩(鹿児島)、

琉球(沖縄)など南日本とも深い結びつきがありました。

 

国内のみならず明(中国)やポルトガル、オランダとも貿易が行われ、

なかにはそのまま堺に住む人もいたそうです。

 

堺にとって来訪者は町を活性化する大切な存在。だから他地域からの移住者も歓迎してくれるのかもしれませんね。

 

 

ところで『サガフロンティア』という人気ゲームに「シュライク」という町が登場します。

現代日本風の町並みながらも古墳も存在するというユニークな町として登場するのですが、

実はコレ、堺市の中百舌鳥(英語で百舌のことをシュライクと呼びます)をモデルにした町だそうです。

 

古い歴史を象徴する古墳と、近代的な町並みが並列し、長い年月の間さまざまな人が行き来してきた堺の中百舌鳥は、ゲームクリエイターにとっても刺激を感じずにはいられない町だったのでしょうね。 

鬼はー外ッ!!

現場のご近所でヒイラギの花を見つけました。

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ヒイラギといえば節分。

最近は自宅で節分をする光景もあまり見なくなりました。
子供さんが居る家庭では、やるみたいですけど、私は小さい頃から豆を撒くのではなく、

年の数だけ食べろと言われるだけでした。(どうも父親がオニ役を拒否っていたようです。)

ところでみなさんオニってどんなイメージでしょうか?angry
私は赤オニがイメージなのですが、近所の子供たちは「オニは青!」と強く言われました。

ヒイラギは節分に悪魔除けとして門口にさす習慣が知られています。
しかし、ヒイラギの葉も何十年も歳を経るに従って鋭い鋸歯が円くなってくるらしいです。
悪魔除けの霊験も次第に薄くなって来るのでしょうか?


鰯の頭をヒイラギにさすのは「寒村に迷い込んだ空腹の鬼が鰯のにおいに誘われて

民家を覗き見ようとしたところ、門口にさしてあったヒイラギの鋭い刺に恐れをなして、

またヒイラギの葉の刺で目をつつき何も取らずに退散した」ことから、

鰯の頭をヒイラギにさす習慣が生まれたそうです。


小枝の葉に小さな白い花を幾つかまとまって咲かせるヒイラギは香りも良く、

寒さの中未を楽しませてくれる可愛い冬のたよりです。


今年は、節分の丸かじりの太巻きに加えて、豆まきをやってみようかナァ・・・。
私がオニになって・・・。

冬の雨は冷たい!

現場の様子を見に行った途中、あまりの寒さに(寒さに弱い生物なもので・・・)

コンビにで暖かい飲み物を買おうと駐車場へ。

駐車場にネコが停猫しています。ど真ん中に。。。

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邪魔~ァだよ~!と他の空いている所に止めました。

車を降りて見ていると、他の車が入って来て、ネコに向かってチカチカとパッシング。

なんと、ノソノソと見せ側に退避しているんですよ。(猫にパッシングは有効)

 

顔と同じで胆の座った態度がナカナカのものでした。

通る人が避けて歩いているのを見て、私も堂々した態度でいきたいナァと想い、

寒さに負けている場合ではないと、勇気付けられた瞬間でした。

世界に羽ばたけ堺っ子!

出身で思いつくのは

・沢口靖子(フル~)
・武蔵さん(K-1の人)
・角田さん(同じく格闘家)
・コブクロ(右の人?おっきい人)
・オレスカバンド(最近のヒット堺人達)
・堀ちえみ(そのまんま)
・吉本興業軍団(多すぎるので省略)
・千利休(堺は豪商の街)
・河盛好蔵(フランス文学者)
・河島英吾(亡くなっても堺の英雄だよぉ)
・黒谷友香(モデル?女優?)
・与謝野晶子(忘れてたぁ)

・・・いくらでも出てくる感じです。

後、野球選手やアナウンサーなど多くの人たちが活躍していますが、

堺って宝庫じゃない?

多方面で有名人が出ているのは、それだけ音楽や文学スポーツと
教育出来る場やサークル活動が盛んだったり、人目に出る機会が
多いという事ですよねぇ。

田舎出身の有名人って、全国コンクールに出たり、都会に出てきて
スカウトとか、チャンス自体が少ない気がするのは、私だけ。。。

ともかく、堺っ子君たちの可能性は無限大だぁ。
ちなみに私は堺出身ではありません。(^@^)y

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